52歳の空手のトレーニングの再開

12月9日は52歳の誕生日だった。
家内と娘2人からはおめでとう、元気でいてね。というメールをもらった、息子からは何も来ない。
家内からは愛しているとのコメントもあったが気恥ずかしい。しかし有難い。
自分が頼りにされている証拠だと受け止められるから。
息子にとって父親は挑戦の対象であり、息子はまだ父親を超えた意識が無く
コンプレックスがまだあるのだろうか素直になれていないようなので仕方ないことなのだと受け止めている。

前書きはこのあたりで終わりにして、本日のメインイベントはなんと言っても一ヶ月半ぶりに再開した空手のトレーニングについて記録しておくことにしよう。

10月25日に空手協会の全国大会 熟練者大会に出場。この年齢となると試合に参加するのは半年に一回が限界と感じているので春の実業団大会の予選と初冬の協会の大会を今後の継続して参加することに決めている。
半年一回となると反省と計画の内容が充実したものにできる実感があるので

の自分にとっては年間を通じた体調管理のバロメーターにもしている。
空手といういものは自分では大学生の時に慣れ親しんだ武道なので恐怖感は無く また、試合の中で受けるダメージ(怪我)に対しても試合の中では痛みではまったく感じないものとなっている。ただ怪我についてはその後で痛みが続くので厄介なものである。

今年の協会の大会は12月初旬ではなく、10月25日だっので秋の暖かい気候の中で参加することがきたので体はずいぶんと楽だった(例年であれば12月の開催なので寒い気候で腰痛が出てくる)。
ただ、腰痛がなく、体調が良い感じだったものの成績は昨年のベスト8に届かず、ベスト16止まりだった。
原因は中段逆突きが有効技として審判が認めてくれなかった点に尽きる。
試合後別の審判員に聴いて見たが審判員に総本部道場の指導員が入っていなかったため判断レベルが低かったので有効技を見落としていたとのこと。
自分の中段逆突きが決まっており相手も腹部へのダメージがあることは
試合をしているお互いが分かっていることなので勝負で勝っても、試合で負けるというポイント制空手試合の欠点が現れたという結果である。
残念さは残るものの致し方なし、来年の試合に向けて「へぼい」審判でも
有効技を見落とさないような試合の展開をするように自分の空手を変化させるように稽古とトレーニング内容に工夫するようにすることと新たな決意をしたしだい。

11月3日に京大空手部に久しぶりに指導に行った。同時に稽古にも参加した。やってしまった。後ろ蹴りから逆突きの連即技を現役生を相手に稽古したところ蹴りが決まる瞬間に足の甲で足小指の足首と第一関節間に相手の肘の先が当てられたぶん「ひび」が入った。腫れが3週間続いたことを考えると骨の損傷、つまりひびだったと思う。ただ商社マンとしては常時出張に対応しないといけないので医者ではシップ薬だけをもらい、レントゲン撮影は断り、ギブスをはめられるのを避けた。
結果として歩行時に痛みがなくなったのは一ヶ月経過した12月初旬、ランニングで痛みがでなくなったのが先週だった。今日は6km走った。痛みは無かったので今後早朝ランニングを復活させると同時に空手の稽古も再開したい。体の復調がうれしい。

京都 嵐山、初冬のライトアップは魅力があるか?

嵐山,春は桜、秋は紅葉が美しい。
年によっては初冬の12月初旬でも紅葉が見られるときもある。
嵐山で12月10日から20日の間ライトアップされると知り、本日は最終日。時間をやりくりして行って見た。
それほどの人ごみは無かったが訪れているのは学生とカップルがほとんど。時には娘さんを連れたお父さんも見られた。
52歳のおじさんが一人で嵐山というのもチョット怪しい感じかもしれない。
今日の嵐山はすでに紅葉も散り去って裸になった木の枝が照明を受けて
夜闇にボーっと浮き出され、みすぼらしさをさらけ出していた。
暗い冷え冷えとした夜空に下弦の月が嵐山の稜線から少しだけ浮き上がった空間に陣取って、凛としていた。

そもそも何故嵐山に来たかったのか?
大学1回生の時に嵐山の対岸の対嵐坊という料亭で京大空手部の全関西学生選手権の優勝祝勝会を兼ねたOB会の宴が催された記念の料亭であったことから、そこをもう一度見てみたいという気持ちが心の底にあったことが本日一人でも嵐山を訪れた理由だった。
チョットした回顧気分がおじさんを動かしたということなのだ。
本来は対嵐坊で食事をしたかったが、うろ覚えの記憶でその場所にいったものの見つけることができなかった。おそらくこのあたりだろうと思い、「嵐月」に入ったが、二人以上でないとだめ、だと言われた。「えっ?」と聞き返すとどうもカップル向けの懐石料理メニューで客を確保するという営業戦略らしい。
仕方なくその右となりにある料理屋(料亭ではない)に入り、豆腐懐石(1900円)と日本酒熱燗2本を注文して食事にありついた。
豆腐はスーパーで売っているようなもので特徴のあるものではなかったが
例の「対嵐坊」の話を聞きたかったので入る料亭はどこでも良いといえばよかった訳なので苦にはならなかった。
残念なことに約30年前に取り潰しとなって今は弁慶という店がたっているとのこと。
例のカップル向けの懐石を売り物にしている嵐月の西隣りの料亭の位置だということも豆腐懐石のベテラン店員さんから伺うことができた。
どうもありがとうございました。しかし昔の思い出は思い出の中で生きているのだ。こころのページに大切にしまっておこう。

iPhone生活開始から一ヵ月半が経過ーー>だんだん生活が豊かに?

昨日はiPhoneを購入するに当たり反対があったことを記したものの、その反対を押し切って買った後の生活が徐々に変化してきていることも付け足しておかないといけない。なぜならそれだけの価値があれば自分自身で納得ができるから。

先ず初めは料金パターンがNTTと異なりソフトバンクの設定している使い放題のメリットとデメリットを理解してどこまで使えるか?という頭の中で考える論理的な部分と気持ちの面で捉える感性の部分の葛藤に先ずは整理をつける時間が必要であった。

購入一ヶ月以上となり料金請求があった。請求金額確定前の定額料金前は
  16万円を超過
しかし使い放題で定額料金のおかげでiPhone使用料金はデーター通信部分が:
   4,800円
電話通信料が:
   約1,500円
PCの通信カード部分は使い放題、定額料金で;
   1000円
PC購入料金が分割払いで毎月支払い分が;
   1000円

NTTからの乗り換えて続き費用を加えて合計で16,000円余りとなり
一応は自分の毎月の可処分所得の範囲で賄える範囲であることが確認できたので、
今月からはiTuneを利用を開始した。
先ずは夏に見た映画AMALFI(織田裕二扮する黒田外交官が誘拐された子供の母親と共にイタリアの地中海を背景とする海辺の田舎の町での子供の救出劇が最後はローマに展開し、最後には大使が主催するパーティー会場でテロリストが入り乱れる現場に巻き込まれるが無事に救出が完結し、めでたし、めでたしという映画のクライマックスで使われた)主題歌が入ったSarah Brightnmanのアルバムを購入した。澄んだ歌声と流れるようなメロディーに
癒されたが、一週間が経過すると何かが違ってきた。歌声は澄んでいるが何か力みがあって素直さがない感じがしてきた。
Jazzを試して聞いてみた。BeiXuとNohra Jonesのアルバムを。夜ということもあったので心にしみる歌詞と淡々とした歌声に惹かれた。早速その二つを購入し、聴いてみたところ、歌詞の中に自分の日常で出会うものが歌われていたのでこれまで別のもの、自分とは縁がないものという受け止め方だったものが、ジワリト親しみが湧いてきた。今しばらくはJazzに親しみそう。今後どんな方向に自分が向かうのか?楽しみ。