中国出張から無事に帰ってきて

一週間ぶりの日本。まずは貝塚二色浜のケアハウスに住む母を尋ね、出張帰任の無事を伝える。土曜日16日はケアマネジャーの**さんとの約束で母を整形外科につれて行き、リハビリ計画の作成依頼のための受診を受けた。
これからは毎週木曜に母のリハビリが開始するための準備であり手順は以下のとおり;
(1)整形外科での受診
(2)ケアマネジャーからリハビリ師への連絡
(3)リハビリ師から整形外科へのリハビリ計画作成依頼
(4)整形外科からリハビリ師への計画提出
(5)リハビリ計画に従い費用を主目的とした契約署名
(5)リハビリ実施の開始

今後費用は毎月一万円くらい掛かる予定。
今回の母のリハビリを開始するに至った動機は
膝の痛みのためにケアハウスの職員の負担が増加したため
リハビリにより自活生活の回復を目指すもの。
要介護度が今まで母は2程度であったが認知症も徐々に進み
現在では要介護度が3くらいになりつつある模様。
要介護度3となり、かつ 認知症が進展し、さらに膝の痛みのために
部屋に閉じこもりとなり食事も自分で食堂に集まれないとなると
要介護重度者の特別老人擁護施設に移動しなければならないらしい。
そうなると母も認知症がますます進行することになると思う。
なぜなら居住する人同士の意思の疎通が無い世界に突入すると
他人との交渉・接触がなったく無くなる事から母の認知症が益々進展する
可能性が大きいと考えられるため。

せっかくの母の人生である。少しでも意識が持てる間に自分の生きた
証を自分で確認できる時間を持たせてあげたい。
母が自分の息子である私を認識できる間に少しでもやれることを
やってあげたい。
後、何年間私を自分の息子として認識ができるのだろうか?
認識できなることが出始めたら息子としての絶望感は限りの無いものとなるだろうし、せめて今の母に生きる喜びと生きることによる苦しみ・人との係わり合いの中で不愉快なことも喜びの裏返しとして感じることは
生きている証であるのでそれも実感できる間が人ととしての喜怒哀楽の
入り混じった感覚が人としての喜びを思う。

少々の不愉快さがあってもその感覚がある間は喜びを感じる感性が維持されているはずだから。